唐突だが、脚本を書くことにしました。
私には、2人の親友がいる。
2人とも小学校からの付き合いだ。
Tくんは、小学校3年生で同じクラスになった。私は1年2組で1番小さく、当時はまだ背の高さ順に並ぶことになっていたので、私はクラスで整列するときに常に1番前だった。Tくんは1年3組で1番小さかった。全校集会の日は、クラスの前に整列していたがその時2組と3組は向かい合う形に並んでいたたため、お互い先頭同士の我々は向かい合う形になり、話したことはないけど、アイコンタクトをしていて、お互いを認識していた。
小学校2年生までは同じクラスで、3年生でクラス替えがあり、Tくんとは同じクラスになった。彼にはそれまでクラスが同じだった仲の良い友人がいた。私はこの友人との方が家が近く、先にこの人と仲良くなったが、3年生の年末に引っ越して、Tくんと近所になり、一緒に帰る機会が増え、急速に仲良くなった。
4年生で学年の生徒数が増えすぎたため、1クラス増加することとなり、それに伴いまたクラス替えがあり、Tくんとは別のクラスになったが、同じバスケ部に入ったこともあり、遊ぶことはさらに増えた。
4年生の途中でバスケ部に入ってきたのが、Mくんである。
Tくん、Mくん、そして私はバスケ部でチビ3人組だった。
なんとなく練習の時は一緒に行動していたので、徐々に3人で仲良くなっていった。
しかし、それぞれの趣味が割と違っていたので、3人で一緒に遊ぶことはそれほどなかった。
Mくんと私は、テレビゲームが大好きだったが、Tくんはそうでもなかったので、最もテレビゲームに夢中になっていた小学校6年生からは、Tくんとはバスケ部以外での付き合いは減っていた。
中学校に入り、彼らとは別のクラスで、学年の人数も3倍くらいになったので、一時的に疎遠になったが、中学校2年でMくんと同じクラスになった。私は塾に通っていたのだがそこで仲良くなった友人たちとTくんが同じクラスだったこともあり、Tくん、Mくんと私の3名がいるメンバーで遊ぶことが増えた。
本格的に親友としての歩みが始まったのはこの頃ではないかと思う。
中学校を卒業するまでは、本当によく遊んだ。
初めて学校をさぼった日もこの3人でサボった。卒業式の日は、3人で雪道を遠回りしながら帰った。
高校に入り、私は新しい友達がたくさんできた。TくんとMくんは、私とまた遊ぼうとしてくれたが、私は彼らと距離を取ってしまった。新しい友人と遊ぶことの方が楽しくなってしまったのだ。
それでも、高校2年になるとまた彼らとの付き合いが始まった。彼らは懲りずに私に声をかけ続けてくれたのだ。
彼らとは、深夜まで遊ぶようになった。高校の友達とはできない無茶苦茶な遊び方が彼らとならできた。
Tくんは、中学3年から芝居の勉強を始めていて、仙台まで勉強に行くこともあった。3人で遊んでいるときに、彼が仙台まで勉強に行くというので、ノリで夜行バスで仙台まで行って、ガストで朝までドリンクバーで過ごし、翌日Tくんはお芝居、私とMくんは、「千と千尋の神隠し」を観に行って爆睡したりもした。
高校を卒業する頃、Mくんはお笑い芸人を目指すことを決意していた。
私はと言えば、この頃、脚本家になることを夢見ていた。
高校でMくんらと遊び始めたとき、彼らが読んでいる本やドラマの話を聞いていたが、野島伸司について特に熱を持って教えてくれた。
その熱が私にも映り、野島伸司のドラマを片っ端からレンタルして鑑賞し、ノベライズ本を収集し、詩集まで読み始めていた。
授業中に詩を書くようになり、愛について、本当に真剣に考えていた。
そうこうしているうちに、自分が物語を紡ぐことが好きな気がしてきていた。
そして、役者、芸人を目指す彼らのように私も芸能に関わる仕事をしたいという思いと結合し、脚本家になってみたいと思うようになった。
ただ、彼らとの決定的な違いは、私は思うだけだったということだ。
書き始めより、随分遠回りしてしまったが、脚本家の話がようやく出てきたので、今日はこのあたりとする。