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脚本家と弁護士①

唐突だが、脚本を書くことにしました。

私には、2人の親友がいる。

2人とも小学校からの付き合いだ。

Tくんは、小学校3年生で同じクラスになった。私は1年2組で1番小さく、当時はまだ背の高さ順に並ぶことになっていたので、私はクラスで整列するときに常に1番前だった。Tくんは1年3組で1番小さかった。全校集会の日は、クラスの前に整列していたがその時2組と3組は向かい合う形に並んでいたたため、お互い先頭同士の我々は向かい合う形になり、話したことはないけど、アイコンタクトをしていて、お互いを認識していた。

小学校2年生までは同じクラスで、3年生でクラス替えがあり、Tくんとは同じクラスになった。彼にはそれまでクラスが同じだった仲の良い友人がいた。私はこの友人との方が家が近く、先にこの人と仲良くなったが、3年生の年末に引っ越して、Tくんと近所になり、一緒に帰る機会が増え、急速に仲良くなった。

4年生で学年の生徒数が増えすぎたため、1クラス増加することとなり、それに伴いまたクラス替えがあり、Tくんとは別のクラスになったが、同じバスケ部に入ったこともあり、遊ぶことはさらに増えた。

4年生の途中でバスケ部に入ってきたのが、Mくんである。

Tくん、Mくん、そして私はバスケ部でチビ3人組だった。

なんとなく練習の時は一緒に行動していたので、徐々に3人で仲良くなっていった。

しかし、それぞれの趣味が割と違っていたので、3人で一緒に遊ぶことはそれほどなかった。

Mくんと私は、テレビゲームが大好きだったが、Tくんはそうでもなかったので、最もテレビゲームに夢中になっていた小学校6年生からは、Tくんとはバスケ部以外での付き合いは減っていた。

中学校に入り、彼らとは別のクラスで、学年の人数も3倍くらいになったので、一時的に疎遠になったが、中学校2年でMくんと同じクラスになった。私は塾に通っていたのだがそこで仲良くなった友人たちとTくんが同じクラスだったこともあり、Tくん、Mくんと私の3名がいるメンバーで遊ぶことが増えた。

本格的に親友としての歩みが始まったのはこの頃ではないかと思う。

中学校を卒業するまでは、本当によく遊んだ。

初めて学校をさぼった日もこの3人でサボった。卒業式の日は、3人で雪道を遠回りしながら帰った。

高校に入り、私は新しい友達がたくさんできた。TくんとMくんは、私とまた遊ぼうとしてくれたが、私は彼らと距離を取ってしまった。新しい友人と遊ぶことの方が楽しくなってしまったのだ。

それでも、高校2年になるとまた彼らとの付き合いが始まった。彼らは懲りずに私に声をかけ続けてくれたのだ。

彼らとは、深夜まで遊ぶようになった。高校の友達とはできない無茶苦茶な遊び方が彼らとならできた。

Tくんは、中学3年から芝居の勉強を始めていて、仙台まで勉強に行くこともあった。3人で遊んでいるときに、彼が仙台まで勉強に行くというので、ノリで夜行バスで仙台まで行って、ガストで朝までドリンクバーで過ごし、翌日Tくんはお芝居、私とMくんは、「千と千尋の神隠し」を観に行って爆睡したりもした。

高校を卒業する頃、Mくんはお笑い芸人を目指すことを決意していた。

私はと言えば、この頃、脚本家になることを夢見ていた。

高校でMくんらと遊び始めたとき、彼らが読んでいる本やドラマの話を聞いていたが、野島伸司について特に熱を持って教えてくれた。

その熱が私にも映り、野島伸司のドラマを片っ端からレンタルして鑑賞し、ノベライズ本を収集し、詩集まで読み始めていた。

授業中に詩を書くようになり、愛について、本当に真剣に考えていた。

そうこうしているうちに、自分が物語を紡ぐことが好きな気がしてきていた。

そして、役者、芸人を目指す彼らのように私も芸能に関わる仕事をしたいという思いと結合し、脚本家になってみたいと思うようになった。

ただ、彼らとの決定的な違いは、私は思うだけだったということだ。

書き始めより、随分遠回りしてしまったが、脚本家の話がようやく出てきたので、今日はこのあたりとする。

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ゲゲゲの鬼太郎と弁護士

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が公開中である。

ゲゲゲの鬼太郎は第6期までテレビで放送されている。

私が子どもの頃放送されていたのは、第3期である…

と思ったら、放送されていたのは1985年だった。

118話もやっていたとはいえ、4歳になる前には終わっていたようなので、リアルタイムでは観てないみたい。

あれ、じゃあ俺の記憶にあるのは…?

第2期は、よくレンタルビデオ屋で借りて観ていた。

1971年のアニメである。

何が面白かったのかは分からないが、昭和アニメの絵柄ゆえの粗さと、余計なBGMや演出のなさが逆におどろおどろしく、怖いのに何度も借りて観ていた。

特に、「牛鬼」「かまぼこ」はずっと心の中に残っていた。

「牛鬼」は、倒してしまうと倒した者が牛鬼になってしまうというとてつもないチート妖怪。

開始早々鬼太郎が倒して安心したのもつかの間、鬼太郎が牛鬼になった時の絶望感はすさまじい。牛鬼はただでさえ大きくて強い、牛とクモ合わせた怪獣みたいな妖怪なのに、鬼太郎が変異したことで猛烈な強さになってしまう。

「かまぼこ」は、鬼太郎が変な半魚人を怒らせて巨大イカにされてしまい、さんざんこき使われた挙句爆破されてかまぼこにされるというとんでもない物語。最近知ったのだが、トラウマ回として語り継がれている。

とある配信サービスで第2期が全部観られるのだが、意外と子供でも見られる明るい話も多く、ストーリーが怖いというより、子供ながらに当時のテレビでは見られない作風に恐怖を感じていたのかもしれない。

第3期は、平成前の作品で、アニメも現代風に近づいており、また、ヒーロー物語として舵を切っていたので、非常にシンプルな印象。夢子ちゃんという伝説的なヒロインも登場し、鬼太郎のヒーロー感、人間の味方感が強調されていた。話数は、シリーズ中最も多い115話だった(第4期は114話ではある)。

私の親がそのいくつかを録画して私に見せてくれていたようだ。特に、ぬらりひょんとの決戦回が強く印象に残っている。

第4期(1996)は中学生、第5期(2007)にいたっては大学院生であったため、そこは通り過ぎてしまった。

そして鬼太郎のことを忘れかけていたころに現れたのが第6期(2018)である。

第6期は、キャラクタービジュアルのチャレンジングな改変(特に猫娘)が素晴らしく、現代風な絵柄、物語を取り入れながらも、過去の作品において鬼太郎が描いてきたメッセージや怖さなどもふんだんに盛り込まれている。そしてメインストーリーもしっかり構成されていて、珠玉の作品になっている。

鬼太郎シリーズの分かりやすい凄さは、もちろん第1期(1968)から50年以上経って作品が生まれ続けていることもあるが、伝説的な声優がキャスティングされていることである。

第1期と第2期は野沢雅子さん(ドラゴンボールの孫悟空・孫悟飯・孫悟天などなど、あまりにも有名)、第3期は戸田恵子さん(アンパンマンであり、多数のドラマに出演し女優としても大活躍)、第4期は松岡洋子さん(代表作が鬼太郎といえるが、ベテランで多数の作品に出演)、第5期は高山みなみさん(名探偵コナン)、第6期は沢城みゆき(クラピカ、峰不二子など、カッコいい少年と女性など、変幻自在の声優スター)。

伝説的な声優の活躍を拝めるだけでも鬼太郎はすごい。

原作漫画はアニメよりいっそうおどろおどろしい雰囲気だし、決してかわいい雰囲気じゃないんだけど、キャラが個性的で魅力的。とてつもなく不思議な漫画。

鬼太郎が唯一無二なのは、日本人の生活に密接な物語であり、恐怖と興奮と学びと、愛嬌などの要素が混在しているとてつもないバランスの作品だからだと思う。

「鬼太郎誕生」もまた新たな鬼太郎シリーズとして歴史に刻まれた傑作だと思う。

個人的には、ちょっと最近のアニメに見られるあざとさが気になったが。

これからもずっと鬼太郎には生き残って欲しい。

鬼太郎が作られ続ける限り、日本の文化も生き続けるような気がする。未来への希望である。

ちなみに、1985年、1987年、2007年、2008年に実写映画化もされている。

観たことはない。

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働き方と弁護士

弁護士っていうのは、クライアントの要望をすべて叶えなければならず、そのためには寝食、プライベートを犠牲にしなければならない。

社内弁護士(=会社と雇用契約を結んでその会社の従業員として働く弁護士)にとってのクライアントは、同僚、上司、役員である。

そう思って働いてきた。

本当にそうなの?

確かに、活躍している弁護士=有名な弁護士・実績のある弁護士は、皆そのようにして働いている。

では、同じように働けない弁護士は幸せになれないのか。

貧困にあえぐしかないのか。

本当にそうなのか?

上記の考えには、特にリソースがない。

有名な弁護士・実績のある弁護士に、稼いでいる弁護士を含めて思い浮かべてみると、実は30人くらいが思い浮かぶ。2023年11月1日時点の弁護士数は、44,783人。私の常識は、実に1%未満を参考にしたイメージである。

有名な弁護士・実績のある弁護士に、稼いでいる弁護士を含めて思い浮かべてみると、実は30人くらいが思い浮かぶ。2023年11月1日時点の弁護士数は、44,783人。私の常識は、実に1%未満を参考にしたイメージである。

弁護士の多い事務所のランキングを参考にすると、トップ20で約5,000人。これをベースにすると、10%強。だいぶ増えた。でもまだ半分は程遠い。

東京、大阪、愛知、神奈川、兵庫といった弁護士数の多い弁護士会トップ5の合計は、33,288人。これをベースにすると74%。これに意味があるかは置いといて、まだ1万通りの弁護士がいる。

自分を大事にして、ちゃんと寝て、プライベートを大事にするけど、ある程度事業も維持できる弁護士は本当に成立しないのか。

その答えは、自分でやらないと分からない。

自分が当然だと思う働き方って実はイメージでしかないのではないか。

ちなみに、超絶優秀だったり、若いころに死ぬほど働いて実績積んだらできたりするという実例には触れたんだけど、私はこれに該当しません…。

そう思ったらやってみたくなってしまって、今チャレンジ中です。

思ったより、希望業界で引き合いがなかったり、クライアントが法務を欲しておらずクライアントが増えない現実に直面して、毎朝震えながら起きている。

前職で経験と引き換えに受けた傷は想定より深い。

でも、挑戦はまだ始まったばかり。

私は40前で、人生はまだまだ続くとすれば、まだ人生の折り返しだし、明日死ぬかもしれないと思えば、やはりできるチャレンジはしておきたい。

臆病なのに、チャレンジを選んで苦しむという、何ともややこしい人格を育ててしまったなと思う。

振り返る自分も、悪く受け取る自分も、嫉妬する自分も受け止めて、新しい働き方を開拓できるか。

ChatGPTの登場で、さらに厳しくなることが予想される弁護士という仕事の果てに何を見るか。

今の生き方にどういうオチが付くか。

ネガティブに分析するのではなく、冷静に、楽観的に見ていけたら、素敵な働き方を発見できるかもしれない。

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UNOと弁護士

誰もが知っていると言っても過言ではないUNO。

私も色んなタイミングでこのゲームに親しんできた。

今、第何次かわからないUNOブームが私に到来している。

きっかけは、子供とUNOを楽しみだしたことだった。

しかし今はなんと(というほどでもないけど)、UNOのゲームアプリがあるのだ(というほどでもない)。

いざプレイし始めると、やはり日本はメインターゲットではなく、実際まだ人気もないため、おかしな翻訳ワードが多く並ぶよくある海外のゲームのローカライズとなっていた。

しかし、そこはUNO。

アプリであってもとにかく面白い。

つい、もう1回、もう1回とプレイしてしまう。

隙間時間ができるとプレイしてしまう。

こんなにUNOをプレイしたことあったっけというほど。

でもこのアプリ、世知辛い。

ずっとプレイすることは許されない。

プレイするために必要なコインがあっという間になくなる。

どんなに積み上げても1回で失うこともある。

課金プレイヤーに勝つのは難しい。

UNOといってもやはり課金している人がちゃんと勝てるようによくできている。

そうは分かってもやめられない。

やはりレジェンドコンテンツは強い。

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コーチングと弁護士①

コーチングを学び始めた。

コーチングが何かということを全く知らない人も多いと思う。

コーチングを学べば学ぶほど、それが何かを一言では言えなくなってきた。

カウンセリングがマイナスをゼロにするサービスとすれば、コーチングはゼロをイチにするようなサービスだと言われたことがあるが、それが一番わかりやすい気がする。

でもそれだけじゃない。

胡散臭いと言われることもあるコーチング。宗教くさいとか。

そういわれるのはわからんでもない。

心の話って捉えどころがないし、論理的でもないから。

でも一定の理論はあって、それに基づいたコミュニケーションは、人に響く。

心が響くと、涙が出たりする。

映画、ドラマ、アニメ、漫画などのキャラクターに自分を重ねて泣くときのいくつかと同じ状態だと思う。

やはり人との関わり合いが人の本質で、その関わり合いが磨かれると、社会の中で、見えない大多数が決めた殻の中に縮こまって苦しみながらも安堵していたのに、その殻が破れてむき出しになる。

本当はこういう風に生きたいという願いがむき出しになってしまう。

実際にその願いに進んでみると、めちゃくちゃ怖い。

だって、身近に似たような人はいないから。一般的なものとして聞いたことがないから。

いかに身近な人、一般的な価値観に寄りかかって生きてきたか、それが楽なことだったかがよくわかる。

その価値観にぴったりくる人ほど生きやすいのかもしれない。こんなこと考えなくていいし、コーチングだなんだと知る必要もない。

その願いが社会の願いに適合していると、迷う必要なんてない。

成功やお金、我慢や合理性、とか。

そこではない何かを願ってしまうと、怖いことだらけ、危険なことだらけ。な気がする。

誰にも教わったことがないし、聞いたことがないから。

当たり前じゃないところ、合理的に考えたら無理なことを目指して歩き始めた今、毎朝本当に鬱々としていて、昔に戻りたいと思って過ごしている。

でも、徐々に、昔に戻って生きた先に何もないことにも気づく。社会を踏まえて勝手に作りこんだ当たり前の殻に閉じこもって年老いた頃に、私はきっと虚しくなり、きっとそれを愛する家族のせいにする。

そんなの悲しいよね、やっぱり。

コーチングの話はどこへ行ってしまったんだ。

コーチングって勉強してみると、結構興味深いものだよ、ということをまずは記しておこう。

しばらくコーチングの勉強を続けるので、またこのテーマを書きたくなるだろうから、今回は①とする。

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ゴジラと弁護士

ゴジラ-1.0を遂に鑑賞した。

ゴジラをあの特撮に造詣が深い庵野秀明監督が撮るという期待と不安の中、鑑賞した「シン・ゴジラ」(2016)。

VFXを駆使した映画の日本代表・山崎貴監督がゴジラを撮るという期待と不安の中での鑑賞となった「ゴジラ-1.0」(2023)。

比較を徹底的に排した感想を述べる。

「ゴジラって最高!!!!!!!」

恐竜にはない、他の怪獣にはない、圧倒的なカッコよさと魅力がある。

なんでだ。

私が「映画を観たい」と初めて意識的に思ったのは、「ゴジラVSモスラ」(1992)。

「ゴジラVSモスラ」を観たいから映画館に連れて行ってほしい、と親に頼んだ。

ゴジラの存在は知っていたけど、それまではずっと怖い存在だった。

徹底的に凶悪に描かれた「ゴジラ」(1984)と同世代だからなのか(そんなわけない)、「ゴジラVSビオランテ」(1989)であくまで人類の脅威として描かれた恐ろしい顔をTVCMで見て恐怖したからなのかは分からないけど、とても映画館で見る勇気がなかった。

そしてそれを映画館で観たいと急に思った理由も分からない。

モスラの美しさと、バトラの禍々しさを漫画雑誌で見て興味を持ったのがきっかけだった気がする。

大画面で映画を観るということに興味もあったのかも。

当時は、ウルトラマンも仮面ライダーも放送されておらず、子供が映画館で観るものといえば、ドラえもんやドラゴンボールといったアニメ作品くらいしかなかった(と思う)。

実写で映画を観るのに、ゴジラシリーズはちょうどよかったということもあったろう。

鑑賞後、私はモスラに夢中になった。

そしてゴジラシリーズを毎年観るようになった。

「ゴジラVSメカゴジラ」(1993)のメカゴジラは、ゴジラシリーズの登場キャラクターで、現在でもなおベストワンである。

「ゴジラVSスペースゴジラ」(1994)は、バカ殿のイメージが強かった柄本明が恐ろしくカッコよく、柄本明と吉川十和子(現・君島十和子)、橋爪淳と小高恵美のラブストーリーが、少年である私にとって最初のはっきりと記憶しているラブストーリーであったりする。

こうしてずっとゴジラシリーズを観ていこうと思っていた矢先、「ゴジラVSデストロイア」でゴジラシリーズが終わると知り、とてつもないショックを受ける。

公開されたキーアートには、「ゴジラ、死す。」という文字。

初めて、自分の好きなシリーズと別れなければならないという切なさを知ったのも思えばゴジラシリーズだった。

これがまた、ゴジラジュニアとの親子物語が非常に切なくて苦しくて、私が初めて映画で泣いたのもゴジラシリーズだった。

その後、モスラシリーズが公開されたが、モスラに魅了されてハマったゴジラシリーズなのに、いつの間にかゴジラ派になっていた私は、モスラシリーズには見向きもしなかった(ごめんモスラ)。

むしろ批判の多いハリウッド版ゴジラ「GODZILLA」(1998)を結構楽しんだ。

そして、「ゴジラ2000 ミレニアム」(2000)が公開された頃には、私も特撮なんか観る年じゃないやい、と愚かにも距離を取ってしまっていた。

また「ゴジラVSビオランテ」以降のいわゆるVSシリーズのゴジラで育った私は、ゴジラ2000以降のいわゆるミレニアムシリーズの造詣が好きになれず、「ゴジラ FINAL WARS」(2004)を含め、劇場で鑑賞することはなかった。

その後VSシリーズを再鑑賞することはあっても、それ以外のゴジラにはあまり近づかなった。

時は流れて、2014年。新しいハリウッド版ゴジラ「GODZILLA」公開に合わせて、ハリウッド版神保町シアターでゴジラシリーズ再上映があった。私は劇場で見たことのない「ゴジラVSキングギドラ」(1991)、私にとって記念碑的作品である「ゴジラVSモスラ」、ベストキャラクターの「ゴジラVSメカゴジラ」を鑑賞した。

ゴジラへの愛が再燃し始めていた。

新しいGODZILLAは生物らしさを追求した結果ボディが太すぎたし、画面が暗すぎたりで、この愛を満たしてはくれなかった。

そこで登場したのが「シン・ゴジラ」である。

特撮が好きな私としては、庵野秀明監督の撮る特撮が観てみたいと思っていたので、期待で大いに胸が膨らむと同時に、ゴジラなんて今更観られるのか、という不安もあった。

でもとにかく観たくて観たくて仕方なかった。

その公開に合わせて、Huluで歴代ゴジラ一挙配信があった。

待ちきれなくなっていた私は、「ゴジラ」(1954)から「ゴジラ FINAL WARS」までの全作品を鑑賞する覚悟を決めた。

ゴジラの初期作品は60年ほど前の作品とは思えない、すさまじいクオリティで、まさに映画であった。

明らかに、ゴジラの人気に比例して、ゴジラが単なる娯楽映画となり、子供向けヒーロー映画に移ろいでいく過程を観られたのも良い体験だった。※その間に存在する「ゴジラVSヘドラ」という常軌を逸した作品から受けた衝撃は大きかった。

もうゴジラが身体の隅々まで染み渡った状態で鑑賞した「シン・ゴジラ」。

今までのゴジラとは違うけど、初代ゴジラを鑑賞したときに覚えた恐怖や新しさを体験できて革新的な映画体験だった。

これはもしや、と思ったら、世間にも受け入れられて大ヒット。感動すら覚えた。

こうなると、次のゴジラを撮れるのは庵野秀明監督だけではないかと思っていたが、そこに立ち向かってくれた山崎貴監督。

ありがとう。

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019)や「ゴジラVSコング」(2021)も派手で良かったけど、やっぱり日本のゴジラじゃないと物足りなかった。

「ゴジラ-1.0」は、まさにこの欲求を満たしてくれた!

もう一度言いたい。

「ゴジラって最高!!!!!!!」

でもやっぱりゴジラの造詣はVSシリーズが最高!TOHOシネマズ新宿のゴジラヘッドだってVSシリーズだし!

生物としてはバランスおかしいのかもしれないけど、あれくらいカッコよさを追求したゴジラの映画がまた見たい!

そして大人向けに作るのは難しいかもしれないけど、やっぱりゴジラには別の怪獣と戦ってほしい!

次の和製ゴジラ作品は5~10年後か。

その頃にはゴジラ作品に関われる位置にいたいという野望をここにひっそりと記す。

特撮

獣電戦隊キョウリュウジャーと弁護士

私は、幼少期に光戦隊マスクマン(1987)、超獣戦隊ライブマン(1988)、高速戦隊ターボレンジャー(1989)を見ていた淡い記憶がある。

変身アイテムやロボットも持っていたと思う。

小学生になりスーパー戦隊シリーズを視聴する機会は減ったが、4つ下の従弟が私の後を継ぎ、鳥人戦隊ジェットマン(1991)、恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)を見ていたので何となく動向は知っていた。

学童保育で親のお迎えを待っているときに、五星戦隊ダイレンジャー(1993)、忍者戦隊カクレンジャー(1994)、超力戦隊オーレンジャー(1995)を何となく見ていた。

いよいよ中学入学が迫ってきて、スーパー戦隊との接点は完全になくなるかと思いきや、6歳下の妹が、なぜか激走戦隊カーレンジャー(1996)のブルーにはまり、若干の繋がりが残った。

その後、電磁戦隊メガレンジャー(1997)に流れ着くが、妹の興味が続く、同時に私もついにスーパー戦隊を番組として楽しむことはなくなった。

いつの間にか放送時間が日曜の朝となっていることに、部活の練習に行くときに気づいた。未来戦隊タイムレンジャー(2000)、百獣戦隊ガオレンジャー(2001)がテレビに映っているのを見ながら練習に行く準備をしていた。

その後紆余曲折あり、私は弁護士になり、短い法律事務所勤務の後にとあるエンタメ企業の法務部に所属することになる。

この企業では社内での趣味のコミュニケーションが活発で、同僚の中でも実績のある偉い方から、侍戦隊シンケンジャー(2009)を猛プッシュされた。スーパー戦隊は幼児向けだから見る気がしないという私の話に聞く耳は持たれず、半ば強制的にシンケンジャーを観ることになった。

これが強烈に面白かった。素晴らしいキャラクターが描写、魅力のある悪役、伏線が張り巡らされたストーリー、松坂桃李の殿様役のハマり具合などなど、非常に洗練されたコンテンツだった。

スーパー戦隊の魅力に気づいた私は、当時放送していた手裏剣戦隊ニンニンジャー(2015)、動物戦隊ジュウオウジャー(2016)を鑑賞しつつ、同時並行で、海賊戦隊ゴーカイジャー(2011)、特命戦隊ゴーバスターズ(2012)、獣電戦隊キョウリュウジャー(2013)、烈車戦隊トッキュウジャー(2014)といった直近のシリーズを鑑賞した。どの作品もそれぞれの魅力があり、もう止まらなかった。

最近の作品を見つくした私は、特捜戦隊デカレンジャー(2004)、魔法戦隊マジレンジャー(2005)、轟轟戦隊ボウケンジャー(2006)、獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007)、炎神戦隊ゴーオンジャー(2008)、天装戦隊ゴセイジャー(2010)を一気見。

最近の作品を見つくした私は、特捜戦隊デカレンジャー(2004)、魔法戦隊マジレンジャー(2005)、轟轟戦隊ボウケンジャー(2006)、獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007)、炎神戦隊ゴーオンジャー(2008)を一気見。

それでもまだ足りず、星獣戦隊ギンガマン(1998)、既出のタイムレンジャーを鑑賞したところで、ようやく気持ちが落ち着いてきて、過去シリーズを鑑賞するのは打ち止めになった。

ただ、既にスーパー戦隊を鑑賞することは習慣になっており、宇宙戦隊キュウレンジャー(2017)、快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー(2018)、騎士竜戦隊リュウソウジャー(2019)、魔進戦隊キラメイジャー(2020)、機界戦隊ゼンカイジャー(2021)、暴太郎戦隊ドンブラザーズ(2022)、そして現在放送中の王様戦隊キングオージャー(2023)まで、ずっと鑑賞を続けている。

さて、ようやくこの駄文のタイトルが近づいてきた。

2023年10月、キングオージャーにキョウリュウジャーが登場した。キョウリュウジャーが放送から10周年であること、キョウリュウジャーのリーダーであるレッドのあだ名が「キング」であり、メンバーが全員王様であるキングオージャーとは、「キング」という共通点があるのが理由のようだった。

キョウリュウレッドは、今やスター俳優になろうとしている竜星涼。パリコレに出演経験のある抜群のスタイルと高い演技力で、ほぼデビュー作のキョウリュウジャーでも抜群の存在感を放っていた。スーパー戦隊は新人俳優で構成されるため、演技力はあまり求められないところがあるが、稀に全く違和感のない演技の才能を見せつける者が現れる。竜星涼はその一人だった。

残念ながら、竜星涼はキングオージャーには声だけの出演となったが、芸能界を引退していた今野鮎莉も変わらぬ愛らしさで登場し、他のメンバーもいい感じに年を重ねていることが見え、とても嬉しかった。キョウリュウゴールドはキョウリュウジャーの中でもトップクラスに好きなキャラクターだったが、不在で非常に残念だった。

脱線を重ねたが、上記の客演を見て、今一度キョウリュウジャーを見直したくなった。

私がキョウリュウジャーを居間で見ていると、恐竜が怖いけど好きな我が娘(とくこ)が妙に静かに私の隣でキョウリュウジャーを見つめ始めた。

そして、次の瞬間、「鎧の勇者!キョウリュウピンク!」と名乗り始めたのである・・・!!!

一度火が付くと、何度も同じ番組を見たがるのが幼児。(ちなみに直近はパウ・パトロール)

キョウリュウジャーの無限ループが始まった。

娘は私がいてもいなくても、家にいてテレビをつけるときは、常にキョウリュウジャーになった。

急に「~っすよ」などと変な言葉を始めたなと思ったら、よくよく聞くとキョウリュウジャーの敵組織のメンバー「ラッキューロ」の口癖だったり、キョウリュウブラックがショックを受けときに使う口癖「Oh my!!」を使い始めたり、主題歌を歌いながら手を洗ったり、生活の大部分がキョウリュウジャーに占められていった。

結果、キョウリュウジャーが私が一番繰り返し見たスーパー戦隊になった。

今回は、ただそれだけの話!!

※なお、自分の好きなスーパー戦隊に娘が夢中であることが嬉しく、もっとキョウリュウジャーを楽しむ姿を観たく、変身アイテムを探し回り(中古品店、メルカリなど)、結果的にオークションでゲット!キングオージャーの影響で価格が高騰していたものの、なけなしの持ち金をはたいた。父の愛。

その翌日、娘がトッキュウジャーが見たいと言い出し、嫌な予感がする。おそるおそる、どの戦隊の変身アイテムが欲しいか尋ねると、「トッキュウジャー!!」と声を張り上げた。Oh my…

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ブログを書くのは難しい

小学生のころから、文章を書くのは嫌いじゃなかった。

社会人になって、いつかブログを書いてみたいと思いつつ、どうせ書くならちゃんとテーマを持って、収益化できるものにした方がいいとか、めんどくさいとか考えていて手を付けないまま15年。

我ながら、なまぐさというか腰が重いというか。

今、私は人生の転換点を迎えている(ような気がする)

あれだけ安定を求めて企業勤めしていたのに、フリーで活動することにしたのだ。我ながらよく決断したなと思う。

しかし思ったより仕事がない。

そこで、この時間を有効活用して、ブログを書いてみることにした。

厳密にいえば、コーチングを受けているコーチの後押しもあっての今。

まずは何でもいいからブログを開設して書いてみようとしての今。

ネットで調べたらWordpressとやらがいいらしい。

有料だけど、有料だからこそラクだと期待が膨らみスタート。

いやいや、難しすぎだろ。

こんなことなら金払わなかったよ。お金に戻ってきてほしい。

錯誤だなんだと言ってもいいかもしれないけど、それも面倒なのでとにかく書いてみた。

これがブログ?さすがに読者の目を気にしなさすぎ。

これが記念すべきファーストブログか。なんで英語なんだ。

明日から頑張ろう。

今日から頑張る者に明日が訪れる。

そんな名言あったっけ。

明日から頑張る人にだって明日は来るよ。

健康でさえいれば。

何でもいいから書いてみたら、書きたいことが浮いてきた。

明日が楽しみだ。